創造性、クリエイティビティは一部のいわゆる芸術家や作家、クリエイターと言われる人たちのものだけではない。
人類全員が持っているものであり、ひょっとしてそうとは知らずに発揮しているものである。
今朝、買い物に出かけた時のこと、少し前を歩くイヤホンをした若いお兄さんがいきなり「気持ち悪い!」と吐き捨てるように言うのが聞こえた。目線の先をみると回収前のゴミ袋から生ゴミがあちこちとはみ出てて、道を汚している。(確かに汚い)
私は、彼と少し距離を置こうと離れた。(思ったことを全部声に出すなんて、変な人なのでは?と想像し「反応」した私)そうしたら、今度は「ま、しかたないよなぁ、いまはカラスの繁殖期だから」的なことを言い始める。声がぐっと穏やかだ。
私は歩きながら想像してみた。いったい彼の声が変わるほどの何が内側で起きたのか、と。気持ち悪いという生理的な反応のあと、彼はきっと自分の中にある記憶と知識にアクセスして、状況をより客観的に捉えて、理解を深めたのだと思う。
これこそ彼の「創造性」ではないだろうか?外からの刺激(この場合、視覚と嗅覚)に対して、ただ生理的、感情的に反応するだけで終わらず、それはどういうことか?この時期何が起きているのか?を瞬時に考えて、自分にとってのリアリティを新たに「創造」したのだ。
「ゴミの出し方が悪いんだよ!しっかり管理しろよ!」と怒りに身を任せる(反応)ことも出来たけれど、彼はそれを「選択」せず、ちがう捉え方を「選択」しそれによって、自分の状態(気分も)を「創造」したのだ。
日常的にある外からの刺激(出来事など)。それに対してただ反応(生理的、感情的に)をするのか?それとも、それに対する「捉え方を自分が選択」をするのか?この二つには大きな違いがある。
この選択をする行為がとても「創造的」である。けっして受け身ではない、実は常に創造的に、クリエイティブに自分はいられるのだと分かるだけで、ちょっとした解放感がある。
思ったことを全部口に出して話す、この若い男性のおかげで、このテーマについて書くことが出来たことに今気づきました。そういう意味で感謝しないといけないですね。^^
きょうも地に足をつけてゴキゲンにお過ごしください♪
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