こんにちは。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日は「何事も永遠に続くものなく、全ては流れている」という捉え方についてです。
写真は昨年暮れに訪れた京都、下鴨神社の手水舎です。水は絶えず流れており、寒い中まわりの緑も青々としていました。
この水の流れを見ていると「今は苦しいな、しんどいな、いやだなと思えることでもいつかは水のように流れていく、変化していく」、そう思えます。
個人的にこの一月は大きなイベントが二つありました。一つは中旬に家の引っ越しをしたこと、二つ目は後発白内障の治療をしたこと。
引っ越しに向けての荷造りは思ったよりも遙かに時間と体力がいり、一時は予定に間に合わないのではないかという悲壮感でちょっと泣きそうになり・・・(今だから笑って振り返れるが)
目のレーザー治療に向けて治療承諾書にサインしてと言われても、瞳孔が開いた状態(治療のためそうする)ではまぶしく文章は読めないわ、レーザーのパチンパチンという数十回もする音のたびに身体は緊張して堅くなるし・・・
そんなとき、疲れと悲壮感と緊張した心身の奥の方で「大丈夫、これは必ず(水のように)『流れる』」「ずっとこれが続くことないから、大丈夫」と言っては、自分を励ましてました。
これは何もしないで諦めることと違い、今この瞬間を客観的に観て、少し広い視野をもたらしてくれます。
今現在、転居先にはまだ段ボールがいくつもあるけど、日々の生活はできるようになり、目の具合もおかげさまで安定してきました。やれやれ
ところで「物事は絶えず水のように流れ、変化する」ということは良いことや安定して上手くいっていることにも、当てはまります。
え!?そんなぁ・・
ですよねぇ・・
いいことはずっと続き、悪いことは早く行き過ぎて欲しい。そう望むけれど、水の流れを自分の都合で変えたりは出来ないのが自然の摂理のようです。執着という別の大きなテーマと関わります。これに関してはまた別の時にでも書きたいと思います。
呼吸を止めては生けていけないように、物事の「流れ」を止めることは出来ない。大きな流れに乗っかっていくのがいいのでしょうか?
きょうも地に足をつけてゴキゲンにお過ごしください♪
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