こんにちは。
きょうも立ち寄ってくださいましてありがとうございます。
人と話していてたのしい会話とそうでない会話があります。そして最も楽しくないのは、相手から聞かされる愚痴や不平不満ではないだろうか。
相手が少しでもその状況を改善する意識があるならまだ良いが、そうでない時、しかも同じ愚痴を繰り返し聞かされるとつらい。出来ればその人と会うことを避けたいと思う。
何か独特の負の波動が放たれるのか、それを浴びることを本能で感じ摂るのか?
で、ふと思う。私たちの魂も、自分があんまり愚痴や不平不満をずっとしゃべっていたら(独り言も忘れてはいけない!)いやだなぁ、と思うのではないだろうか。
もともと私たちの魂は、産まれた時からずっと味方として成長を見守ってくれている(時に厳しい試練も体験させながら)のなら、やはり愚痴や不平不満ばかりを聞くのは嫌だろうな、と思う。
魂にそっぽを向かれたら、ちょっとたまらないなぁ・・・
それは避けたいなぁ・・
と、今そんなふうに思う。なぜこんなことを思うのだろう?と自分に聞くと、「自分の魂は大切な存在だから」という返事が内側から返ってきた。存在ということばが適切かどうかは分からないけれども。
無意識にことばを放つことの多い私たち。それを聞いているのは目の前の相手だけではないことを、自覚しておきたい。
では自分の味方、内側の魂が喜ぶ「ことば」とはどのようなものなのか?それは一人一人が日々の生活の中で気づいて(築いて)いくものだと感じます。手始めに今日はどんなことばから始めますか?
今日も地に足をつけてゴキゲンにお過ごしください♪
今年も多くの読者の方に支えられました。心から感謝いたします。
皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
★2025年1月12日(日)立ち止まって観るワークショップを大田区の会場で行います
↓Facebookの「いいね!」はこちらになります。