この間のお彼岸のお墓参りの帰りに親戚で和食ファミレスに行きました。というか、お寺に近いし、毎回同じお店のボックス席に座ります。
でもこの間はちょっと様子が違っていました。みんなでメニュー見ながら何にしようか、と迷っている間にスーッとそれは来たんです。よく冷やした麦茶と紙おしぼりとお箸を乗せて・・
ちまたで聞く、配膳ロボットです。上部の画面はニコニコ顔がついてて、時々ウィングします。それ見て、ついにこのお店でも導入したんだぁーとみんなでちょっと盛り上がる。(写真は別の物を借りて来ました)
しばらくして、わたしの斜め右前の席のおそらく仕事中の男性四人のところにもその配膳ロボットがスーッと移動して止まりました。
ところが、みんな話に夢中なのか誰もロボットが来ていることに気づきません。離れた席から見ている私には信じられない光景でしたが、まぁそのうち気づくだろうと、自分たちの方の話に集中することに。
五分ほど経って、顔を上げるとまだ四人の男性は気づいていない!(四人もいるのに、なんだぁ?と内心思う)配膳されたものを客が受け取るまでじっと待機するタイプのロボットらしい。だからいつまでもそこにいます。
お節介なわたしは、思わず席をたって、その四人の一人に近づいて「あのぅ、さっきからお茶きてますよ」と教えてあげました。そうしたら、四人ともあっ!という表情で、ちょっと照れた様な顔しながら私に向けて頭をぺこぺこ・・・やれやれよかった、よかった。
「お客様、ご注文の品をお持ちしました」と音声で教える訳でもなく(そんなタイプもあるかも)あくまでも気づくまで待機している。ある意味、スゴいなぁと思う。
そして、ふと思う。実はわたしにとって大切なものを示してくれているけれど、私がそれに気づいていないだけ、ということはないだろうか、と。
例えば、心配ごとがあって息が浅くなってる時、深刻な表情してる時、あるいは何かで頭にきて相手を責め立てようとする時など・・・。実は気づいていないだけで、隣に「こころの鏡」がそっと待機しているのかもしれない。
その魔法の「こころの鏡」を見ると、自分のことを客観的に観ることができます。心配したり悲しんだり、怒っている自分のことを距離を置いてみることができる。
自分の状態を距離を置いて、客観的にみることは、けっして冷たい非人間的なことではないのです。むしろ逆で地に足をつけて物事に現実的に(思い込みに囚われるのではなく)対応する力を取り返す助けとなります。
この「こころの鏡」自らがほらほら、ここにいるよ!と声をかけてくれないので、日頃から自分の周囲を止まって観ることが大切です。
そんなことをリマインドしてくれた配膳ロボットでした。
さて、和食ファミレスの話に戻りますが、そのあともさらに面白いことがあったんです。例の四人男性グループの隣のテーブルに、今度は女性三人組が座りました。
数分後、お約束通り配膳ロボットがスーッと女性三人組の所に現れる様子を男性グループの人たちが目で追っているのが見えました。やっぱり気づかない女性達(笑)。
少ししてから、彼女たちのテープルに一番近い男性がロボットの存在を一人の女性に教えてました。二つのテーブルで静かな笑いが起こるのを見て私はなんかほっこりしちゃいました。
確かにそこに存在していても、そこに目を向けないと、在っても無いと同じです。
あなたの身の回りでそのようなことはないですか?
今日も立ち止まってよく観て、ゴキゲンな一日をお過ごしください♪
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