きょうもブログに立ち寄ってくださいまして、ありがとうございます。
先日行った「自分を立ち止まって観るワークショップ」で面白いエクササイズをしました。自分にとって愉快でない、ちょっと重い気持ちになるような過去の出来事を題材にしました。
もしも仮にその出来事が自分にとって何かしらのギフト(何かメッセージを届けてくれるもの。サインあるいはお知らせ。)だとしたら、それは何ですか?と質問を受けて、それに答えてみるエクササイズです。
質問された人の表情ははじめはやや硬めです。今日まで温めてきた概ね否定的な感情をすぐに変えるのは難しいです。
それでも何回か質問されると、思いを巡らし始めます。何か自分とって(結果的に)いいこと、役立つことも含めてあったかな?気持ちはついて行かなくても、とりあえず口に出してみることに挑戦しました。
実はわたしもこのエクササイズに参加をしました。はじめは無理にギフト探しをしているみたいで、口に出していうことがちょっと嘘っぽい気もしました。
「自分はこれから二度と同じ過ちをしないよう、慎重に進めるべきだということを学びました」というギフトもあるかもしれないけれど、どこか無理がありますよね。
それでも、何回か相手から丁寧に優しい声で聞かれると、意外なことを話している自分を発見。「もうその出来事をそんなに気にせず、先に進みなさいよ」というメッセージ込められたギフトを見つけたのです。
薄々、自分でもその出来事にこだわっている(執着している)ことは分かってました。だからこの意外な言葉で何か励まされたような、そして気持ちが晴れるような感じがしました。
どんなギフト(お知らせ、メッセージ、サイン)があるのか?と自分に問うことで、実はいろんな選択肢があったことに気づきます。
そう、いろいろなことを選ぶことができる自由をいつも持っていることを思い出します。例えイヤな過去の出来事だとしても、何かしらギフトはなかったか?と振り返ることで自分の中の自由さはどんどん増すのを感じられます。
対象のものをどう捉えるか。その選択肢は本当はたくさんあるということ。そしてどれを選ぶか、その選択権は常に自分にあること。
私たちの内側は常に自由であることを忘れたくないものです。
今日も地に足をつけてゴキゲンにお過ごしください♪
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