なぜだか、相手の言うことが勘に触るときがある。
その人の言い方にトゲがあると、ちょっと馬鹿にされたような気分になる。
今日は虫の居所が悪いのか、(たぶんそう)怒りっぽいものの言い方をする人。
送ったメールに対する返信が、ぶっきらぼうで素っ気ない人。
そんなときも、ガッカリしてしまう。
自分のことを尊重してほしいと思うのに、それが感じられない。
そんなときは、もうそんな人と関わるのがイヤになる。
口をききたくないし、極力会うのを避けたくなる。
「○○さんと関わると嫌な気持ちになる」という思い込みがあっという間に脳の中で出来上がってしまう。
もはや妄想の世界です。
赤の他人ならまだ関わりを避けることができる。
でも家族という関係の中では、なかなかそれを実現することが難しい。
(家族はもっとも身近な他人だとアドラーはいう。)
実は今朝、弟からのメールを読んで、気持ちがちょっと滅入った。
もともと返信が遅い上に、来たメールがいきなり質問だった。
弟のメールには挨拶の言葉がない。
いつも自分の聞きたいことを質問してくる。
それに対してわたしが答えても、弟からは返答なし。そして通信終わり。
最近ずっとこんなやりとりなので、もう弟に期待することを諦めている。
・・・と頭で思ってても気持ちがイライラするので、久しぶりに「グラウンディング」をしてみた。
地球のど真ん中と、天をつなぐプラーナ管が身体を貫いていることをイメージし、最後は胸の奥にある愛、慈しみ、思いやりの源をイメージしてみた。
目を開けると、さっきまでのイライラは消えてもうない。
気持ちは穏やかで、自分がすこし寛容になったような気がする。
少し時間がたってからスマホみると弟から珍しくメールが来てるじゃないですか!?
そこには感謝のことばが、😀絵文字ととおもに!
イライラに任せてトゲトゲしたメールを書かなくて本当によかったと思います。
わたしも😀絵文字を返信。
やられたら、やり返す。
あるいはその場からいなくなる。そして逃げる。
機を見て相手に仕返し(復讐)する。
どの反応も自動的で、反射的なことが多い。
もちろん、それらは悪いわけではない。
でも、わたしたちには常に「選択することができる」ことを忘れてはいけない。
あなたは今日、自分の言動を振り返ってみて、どうですか?
何か気づくことはありますか?
今日も地に足をつけてゴキゲンにお過ごしください♪
お知らせ:
6月4日(日)気づきの泉(ズーム)テーマ「精神の自由」
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