うちでは季節の変わり目などに、花の苗を買ってきて鉢に入れてベランダに並べては楽しんでいます。いくつかある鉢のうち、たまに花の咲くのが遅かったり、はじめは元気でもじょじょに花の数が減ったりするものがあるのが不思議です。
虫のつきやすいものと、まったく同じ種類なのにあまりつかない花もあるのも不思議です。同じように世話しているのに、家族と「何が違うんだろうねぇ?」と話したりします。肥料?日当たり?水やり?なんだろうねぇ?と。
結局、素人にはわかるはずもないけれど、そういう時は「同じ花でも、実はそれぞれ性質が違うんだねぇ」というところに落ち着いて、話しは終わります。
花や植物だからそんなことは当たり前、で落ち着くけれども、相手が人間だとそう簡単に割り切れません。特に自分が何かしら「世話」をした人だとなおさらです。職場の後輩や部下、学校や何かしらの学びの場の生徒、家族でいえばこども、など。
自分が世話をした、あるいは面倒を見た相手が成長や成功をすると自分のおかげと思います。もちろん相手の資質によるところが大きいし、大っぴらに「自分のおかげ」とアピールはしないこともあるけれども、内心これを全く思わない人も少ないのではないでしょうか?
逆に、なかなか成長が見えにくい(自分には、ですよ)、自分のやり方に反発や反抗をする、途中で違う道にいってしまう(路線変更、挫折?)時は、つい感情的になってしまうことがあります。
相手を責めることもあるけれど、自分自身を責める人も多いと感じます。自分のやり方、接し方はもっと違った方がよかったのではないか?などと悩みます。
実際はそうかもしれないし、そうではないかもしれません。全くちがう理由かもしれないわけです。直接相手から話を聞く機会があればそれもよいですが(そして自分で反省できることがあればそれを次回に生かすことはできます)、全て正直に話してくれるかはわかりません。
別に嘘をついているということではなく、相手も自分の内側で起こっていることをうまく言葉にすることが出来ないこともあると思います。時間がたってからようやく何を感じていたのかに気づき、理解することもあります。自分自身もそういうことを体験しています。
つまり自分が関わった、あるいは世話をした人の成功/不成功、成長/停滞、幸せ/不幸せに責任を感じなくてよいということです。私たちはそれほど大きな力はなく、また相手はそれほど弱く、小さな存在ではないのです。
わたしは、最近このことに気づいて肩の力がかくんと抜ける感じがしました。そして少し気楽になった感じもしました。
今日も地に足をつけてゴキゲンにお過ごしください♬
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